ふと感慨にふけったり物憂い気分になったりすることがある。
数日前、探し物をしていたら何やら本の一部をコピーした
ような紙切れに気が付いた。
よく見るとANAの情報誌「翼の王国」の1999年
1月号に掲載された記事の一部であった。
余程、当時印象に残った記事なのであろう。
どなたかの書いたエッセイの一部である。
紹介する。
旅の前に読んだ本のせいで神経がたかぶっていた。
その本には池田屋襲撃のことが書かれていたのだが、とりわけ
一人の志士のことが強く印象に残っていた。吉田松陰の門下の逸材
だったというその男は、なんの巡り合わせか池田屋にいて新撰組に
襲われる。傷を負いながらも白刃をくぐり抜けて長州の藩邸へと急を知らせるが、援軍についてはこれをやんわりと断られてしまって、そこにとどまるようにと諭される。あきらめても咎められるものではないのに、その男は修羅場へと戻って死んでしまう。沖田総司に斬られたとも自刃したともいうが、そのことに径庭(けいてい)はない。
誰だって命は惜しかろうに、どうして戻っていったのか。これは
犬死にかもしれないとのためらいがあったならば、爪先に力が入らなかっただろう。
犬死にになどない、一瞬が生死を分けることについて晴朗なまでの覚悟があったのだろうか。友愛のためにおのれを抛(ほう)ったことを、無惨とはいえまい。愚直だとか蛮勇だとかして、これを嗤うこともできまい。あれこれ詮索しようとしても、糸はぷっつり切れてしまっている。
以上である。
これを読んであと、当時、妙に切なくてぼんやり一日過ごしたことを覚えている。