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2011年02月22日

奥武山公園


昨日は雨。今日は晴れ。一時俄雨はあったものの、ほんの10分足らずで晴れ上がった。今日一日おおむね晴天であった。
昨日のマラソンは毎年雨のジンクスを打ち破ることがなかった。この1日違いの確率は何であろうか。
2月は沖縄では比較的雨の多い時期である。ただ過去の気象のデータからすると、沖縄は10数年前から、晴天の日が増えている。
現在、10球団がキャンプを張っているこの現実が、それを物語っているのではないか。
私が今でも思い出すのは、20年ほど前、広島カープが沖縄市市営球場で練習を行っている頃、来る日も来る日も雨。雨、雨。当時、監督であった、山本浩二監督が怒り心頭に発し、キャンプ地沖縄を去って宮崎に移ったことがある。当時の沖縄の天候を象徴する出来事である。


あれから、世界的な気象変化の影響もあってか、沖縄の天候も2月は雨多しが必ずしも当たらなくなってしまった。これは沖縄にとっては明らかにプラス要因である。


徐々に沖縄でキャンプを張る球団が増え、現在、10球団。今年、10球団目の巨人が昨日、来沖した。巨人のキャンプ地は沖縄の県庁所在地那覇市であり、新設の「沖縄セルラースタジアム那覇」である。いかにも巨人らしいではないか。この球場はかつては「奥武山球場(おうのやまきゅうじょう)」と呼ばれ、沖縄で初めてプロ野球公式戦の行われた歴史的な球場である。

ちなみにその時、沖縄を訪れて試合を行った球団は、西鉄、東映であった。


1961年の5月に西鉄、東映が来沖して史上初の沖縄にてのプロ野球戦が行われたことが示されている。当時は沖縄は日本本土からすれば外国であり、海外遠征試合と謳われている。


球場の名前は変わったが球場周辺の奥武山公園の名はそのままである。この公園は緑多き、那覇市の憩いの場である。ゆっくりと1時間ほど歩き回れば心地のいい程よい疲れを感じ、何と言う幸せ!と思わず、歓喜の言葉を発せざるを得ない。

posted by ショウゾウ at 00:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年02月21日

第19回おきなわマラソン

毎年、この時期になると決まって雨である。
この時期とは、おきなわマラソンの行われる時期のことである。
第19回2011 OKINAWA MARATHON おきなわマラソン と銘打って
今日(20日)、開催された。
やはり雨であった。小雨まじりの中で参加者 13,246人が走った。
私の住んでいるうるま市もコースの一つに入っていて、私も沿道に立って走り行く選手たちに声援を送った。
走る選手のなかには知人の男子もいたが、毎回参加していて、今回は今までの最高記録で27位、2時間49分00秒。
1万3千人余のうちの27位は凄い。この男は走るたんびに進化し続けている。このマラソンは公認マラソンである。記録は記録として正式に残る。大したものだといわざるを得ない。。

それにしても何故走るのだろうか。1万3千人もの人が何故走りたいと思うのであろうか。苦しいのに違いない。苦しい思いをしてそれに耐えて達成感を味わう。
苦しいゆえに、なおさら達成した喜びも一入なのであろう。などと分かりきったことをまことしやかに言う自分は先日、5.9kmを走ったばかりで、フルマラソンの42.195kmがいかに大変な距離であるかは想像に難くない。

posted by ショウゾウ at 01:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年01月17日

第32回海洋博公園全国トリムマラソン大会

昨日、第32回海洋博公園全国トリムマラソン大会が開催された。
エントリー6254人。5522人完走。完走率88.30%。
私も高校以来、40数年ぶりにマラソンに参加した。
この大会の特色は一部の選手を除いては速さを競い合う競技ではなく「遅いあなたが主役です。」のキャッチフレーズが示すとおり、無理をせずマイペースで走ることを主眼においている。参加者は参加申請の時に自己申告タイムを示すことになっている。
コースが3通りあって、10km、5.9km、3.5mのうち私が選んだのは5.9kmコース。私の申告タイムが1時間20分。

当日の天候は、天気雨、日照り雨、そばえ、狐の嫁入りとでもいえそうな、太陽がのぞいては、雲隠れ、太陽がのぞいては小雨が降る、そして雲隠れが何度も繰り返される不思議な現象であった。

寒風吹きすさぶ中、気温は11度、体感温度はそれ以下ではないだろうか。そんな中、本部町の町長の開会式の挨拶の一言が光っていた。「このくらいが丁度いいんです。」

大会のキャッチフレーズ「遅いあなたが主役です。」は走るものにとって「無理をせず、マイペースで気楽に走ればいいんだという」精神的な負担のかからない良い表現である。

がしかし、いざ走ってみると後ろから来る走者にどんどん追い抜かれてゆく自分を思うと、やはり負けん気が自然に沸き起こってくるものである。
少しは無理をしてでも、前を行きたいと思う。苦しいが限界のぎりぎりまで自分を追い込む。
平坦な道、下り坂、上がり坂、起伏があるだけに実際の距離以上の気がする。特に折り返し地点からの上り坂を走るのは長い長い階段を徒歩で上がるようなつらさがある。時計の所持は許されていないので、ゴールに達するまで申告タイムとどれほどの差があるのか分からない。

結果的に最後の300mを全力疾走で、申告タイム1時間20分より22分早い58分で完走した。
勿論たいしたことではないに違いないが、本人にとって見れば、喜びこの上ない。
これは走ったものにしか分からない自己満足の達成感である。
ゴールインした時には寒さが全く感じられず、全身汗ばんでいたほど。
あの町長の言葉「このくらいが丁度いいんです。」が本当であることを実感した。
posted by ショウゾウ at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年12月01日

星野監督、恩名村のホテル

P1050346.JPG_1.jpg

沖縄の中部、恩名村に有名なホテルがある。
ホテルムーンビーチ。
最近は一般客のほかに修学旅行団体で賑わっているビーチのきれいな伝統あるホテルである。外国人の観光客にも人気のあるホテルである。
そこの中庭に1988年にプロ野球中日ドラゴンズがリーグ優勝を果たした記念に星野仙一氏の直筆のネーム入りの文字を彫刻した銘板が設置されている。
琉球石灰岩を台座にした黒御影石の銘板である。(写真参照)
少し気をつけて見ない事には見過ごしてしまうのかもしれない。
ホテルムーンビーチは現在、阪神タイガースの宿泊所となっている。
中日ドラゴンズから阪神タイガースに取って代わったのはおそらくは星野仙一氏が中日ドラゴンズの監督から阪神タイガースの監督に代わったことによるものであろう。
どういう経緯でそうなったかのはよくしらないが、おそらくは星野仙一の名がそうさせたのではないだろうかと私は確信している。
ちなみに、中日ドラゴンズの宿泊所はムーンビーチから車で5分ほどのところにある。
ムーンビーチの海岸べりからもそのホテルは見ることが出来る。
 ところで星野仙一氏といえば最近、楽天ゴールデンイーグルスの監督として就任が決まった。
氏は中日ドラゴンズ、阪神タイガースといずれもリーグ優勝を成し遂げている。
今度こそ、楽天ゴールデンイーグルスの監督として日本シリーズ優勝を目標にしているに違いない。
私個人としては、実現大いに可能性ありと見ている。

posted by ショウゾウ at 20:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年10月10日

[組踊「肝高の阿麻和利」with東儀秀樹]を見て

昨夜、「現代版組踊「肝高の阿麻和利」with東儀秀樹」を見た。
10月9日(土)夜7時開演。場所は勝連城跡(かっちん城)。
2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が 世界遺産に登録されてから10周年の佳節を迎える今年の記念すべき公演である。

開演前にいろんなアーティストの演奏、歌が披露された。最後に雅楽奏者東儀秀樹の演奏がおこなわれた。和楽器、篳篥(ひちりき)の演奏である。
東儀秀樹の2曲目の演奏が阿麻和利のテーマで、この曲の演奏が現代版組踊「肝高の阿麻和利」の幕開けであった。
550年ほども前の阿麻和利の半生を描いた歴史絵巻的組踊りである。主役である阿麻和利の居城であった勝連城祉を背景にしてステージを設けたぜいたくなプロジェクトである。沖縄うるま地域の中高生が演じる本格琉球史劇である。

実を言うと2年ほど前にもこの現代版組踊「肝高の阿麻和利」を見たことがある。ただし、30分の短縮版であった。
短縮版ではあったが、初めて見る「組踊り肝高の阿麻和利」に私は大いに感激したものである。
当時のことをブログに書いてあるので一部抜粋で紹介したい。

今回の「阿麻和利」は30分の短縮版であった。世間ではこの現代版組踊「肝高の阿麻和利」が高く評価されているにもかかわらず私は大して関心が持てなかった。
平田大一の演出ではあるが、出演者のほとんどが中学生、高校生と聞いて私は学校の学芸会の延長のようなものであろうなどと考えていたのである。
ところが始まって1分も経たないうちにこれはすごいと思い始めた。何がすごいのか。
これはミュージカルである。とにかく音楽がすごい。歌がすごい。踊りがすごい。なんといっても迫力ある一糸乱れぬ統一感がいい。出演している子どもたちの表情がいい。笑顔が素晴らしい。胸に迫り、魂がゆすぶられ、感動のあまり涙があふれてくるとでも言ったらいいであろうか。
30分の短縮版でこれほどすごいのであれば完全版であればもっと見ごたえがあるにちがいない。

以上のように短縮版で受けた感動を胸に、今度は完全版を見ることになった。

荒涼とした勝連城跡を背景にしたステージで組み踊り劇が展開された。現代版組踊りと銘打ってあるが、これは別の表現をすれば沖縄流ミュージカル、あるいは現代版琉球歌劇といってもいいのではないか。劇は夜7時に始まり、20分の休憩を挟み10時前に終了した。
東儀秀樹の篳篥の演奏を初めて耳にしたが、雅楽の楽器のイメージを越えて、普遍性のある新しい形の楽器にさえ思われた。
夜空に篳篥の音色が響きわたり、えもいわれぬ幻想的なメロディーを奏でた。東儀秀樹の出演及び演奏は大いに劇を盛り立てた。
1回きりの出演であり大きな演出であった。
何よりもプロの演じた作品ではなく純粋で一生懸命になっている中高生の演技が人を感動させているのであって、そのエネルギーたるや、勝連城および周辺に漲っていたと感ずるものである。野外ステージであっただけに、自然の中で観客は感動の渦に巻き込まれ、最大の喜びをかみしめていたのではないだろうか。
最後に「肝高阿麻和利」のテーマを100人以上の出演者全員で踊りながら大合唱する場面は圧巻である。

数千人の観客で沸き返った現代版組踊「肝高の阿麻和利」が終わり、観客が帰る時には、勝連城から出口に到る沿道で出演者全員が笑顔で見送ってくれた。

最後の最後まで、見事なまでのもてなしというほかはない。

関連ブログ:
http://ishigantou.seesaa.net/article/107022410.html?1286701831
posted by ショウゾウ at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年10月03日

「街のハト」という歌

「街のハト」が吉永小百合の歌であることを知っている方はよほどの小百合ファンであるに違いない。
そしてこのファンにはサユリストという特別な称号が与えられたのも、吉永小百合の存在の大きさを示しているのではないか。

この「街のハト」はひと頃、幻の歌であった。何となしにレコーディングされてそれほど、ヒットすることもなく世間から忘れ去られた歌であった。
ただ、私はこの歌が好きで、子どものころよく口ずさんでいたものである。曲がシンプルで覚えやすく、数回聴けば子供には覚えやすい歌ではなかったろうか。
そして、うまいとも下手ともいえない吉永小百合の素人っぽい歌い方が好きであった。
吉永の代表的なヒット曲を知っていてもこの「街のハト」を知る人は少ない。それというのもいまだかつて、友人であれ知人であれ、音楽好きの薀蓄人間らしき人々にこの歌のことを尋ねたが誰一人知る人はいなかった。
「街のハト」はとうとう今日まで人々に知られずじまいである。

冷静にこの歌を聴きなおしてみると、やはりヒットしないタイプの歌だったのか、などとも今更ながら思うが、私にとっては、やはり思い出深い心休まる懐かしい歌のひとつなのである。

http://www.youtube.com/watch?v=4hWp2YkDR0I


posted by ショウゾウ at 18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年09月29日

日本初のオリジナルポップス

日本初のオリジナルポップスをご存知だろうか。
今から遡ること40年以上も前、当時はポップスというとアメリカからやってきたヒットチャートの歌を日本語の歌詞に書き換えて日本の歌手が当り前のように歌っていた。

そのころ、レコード会社にある人物が入って来て、日本でもオリジナルのポップスが出来ないものかと考えた。コロンビアレコード会社の東元晃ディレクターであった。
そしてオリジナルポップスの作り手を探し求めた。いろんな候補が上がったが、当時の売れっ子作詞家の橋本淳の薦めたデビューしたての筒美京平の名が第一の推薦であったという。

筒美京平については以前、私のブログでも触れたがやはり大作曲家になる予兆であったといえるのではないか。結局、橋本淳作詞 筒美京平作曲、編曲で日本初のオリジナルポップスが誕生した。
歌のタイトルは「渚のうわさ」 歌 弘田三枝子である。1967年の作品。言い換えれば国産第一号のポップスということになろう。

私はこの「渚のうわさ」を題名としては知らず、メロディーを聴いて初めて、昔聴いた事があると懐かしく思ったものである。
筒美京平らしいオシャレで洗練された洋曲風なメロディーである。
聞き覚えのないような方でも、この歌を三度ほどくり返し聴くとメロディーを覚えていただけるようなリズミカルで明るい曲調である。
日本初のオリジナルポップスといわれるにふさわしい作品ではないだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=21-LTCeS1sM
posted by ショウゾウ at 12:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年08月21日

興南、春夏連覇

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興南高校がついに春夏連覇を成し遂げた。
9回裏、島袋投手が最後のバッターを三振でうちとった瞬間、
日本の高校野球史に新たな記録が打ち込まれた。
勿論、沖縄の野球史においても、大変な偉業であり、巷では早速号外が配られた。
全国区では号外に値するものではないだろうが、沖縄県にとっては文句なしの歴史的大快挙である。
嬉しくてたまらない。この喜びを何にたとえよう。
わっと叫ぶのも大人気ないし号泣するには恥ずかしい。
結局、人知れず、感激を噛みしめながら、つつましく刺身、ビールそして泡盛で優勝の喜びを味わっている次第。
春夏連覇は過去に5校あるそうである。調べてみた。
1962年 作新学院、1966年 中京商、1979年 箕島、1987年 PL学園、1998年 横浜。
興南は12年ぶりの6校目となる。

興南は今大会6試合を闘った。
参考までに全試合のスコアを示してみる。


興南(沖縄) 9 - 0 鳴門(徳島)

興南(沖縄) 8 - 2 明徳義塾(高知)

興南(沖縄) 4 - 1 仙台育英(宮城)

興南(沖縄) 10 - 3 聖光学院(福島)

興南(沖縄) 6 - 5 報徳学園(兵庫)

興南(沖縄) 13 - 1 東海大相模(神奈川)

この中で私が一番印象に残った試合は対報徳戦である。
5点を報徳に先に奪われたが、徐々に加点して7回の表に2点を取り逆転して6対5。このまま9回の裏、報徳を0にうちとれば、勝利となるが、トゥーアウトながらランナー3塁、打者は4番バッター。
この9回の裏に沖縄は過去に何度もサヨナラで涙を飲んだ。いわゆる魔の9回裏である。
打たれると同点、延長、最悪サヨナラ負け。
この場面でも島袋は今日の対東海大相模同様、最後のバッターを三振。
これにより、決勝進出。そして記録達成。

興南高校、春夏連続優勝をありがとう。おめでとう。そしてもう一度ありがとう。
今日は土曜日ということもあって、もう少し泡盛を飲み続けるのかもしれない。
こんな気分のいい事は無い。
posted by ショウゾウ at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年07月31日

北山修

テレビ番組表に、NHK BS2で「きたやまおさむ名曲コンサート」があるというので見てみた。
北山修が書いた歌詞の作品を数多く、主として坂崎幸之助のギターと歌で進めていたがゲストとして杉田二郎、南こうせつが招かれた。
司会進行は北山修本人であったが、おとぼけとおふざけが過度でないところが良かった。
彼の本業だが、精神分析科医で国立大学の教授だという。九州大学の大学院で教鞭を取っていたらしい。その九州大学を今年3月で退官となり、3月21日に北山のプロデュースで九大で「さよならコンサート」が企画され、自身の作詞した曲を坂崎幸之助などが歌った。そのコンサートの録画だった。いったん5月に放送されたものの再放送だという。
北山修の歌詞は私は個人的にとても好きである。
医者であるにも関わらず知性と教養をことさらひらけかす歌詞でないところが良い。底抜けに明るい歌が少なく、かといって落ち込むような暗い歌は無く、悲しく切なくもどこかに希望を見いだすような青春を描いているような歌が多いのではないだろうか。
北山修は本職が医者ではあっても、今日、プロとして安心して歌詞を任せられる作詞家の一人であるに違いない。
あの素晴らしい愛をもう一度、風、さらば恋人、白い色は恋人の色等数多くあるが私が個人的に好きな歌は浅川マキ歌「赤い橋」、由紀さおり歌の「初恋の丘」である。
posted by ショウゾウ at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年06月13日

1兆円について考える。

今朝、朝日テレビの番組、Sフロントラインで野田佳彦財務大臣が事業仕分けについての話の中で1兆円がどれほどのものか説明していた。

1兆円を1万円札で重ねると1万メートル。富士山を越えると言う。富士山は3776mであるから、むしろ富士山の三倍近くの高さに匹敵すると言ったほうが適切なのではないだろうか。

そこで、私なりに、たまには国の財政について考えてみても良かろうと思い、この1兆円をさらに視覚的に考えようと立体画像的に具体的な数字で表すべく、まずは1万円札についてあらためて調べてみた。

1万円札はサイズが縦76mm、横160mm、重量が湿度により多少の変化はあるが基本的に1枚で1g、厚みが0.1mmである。
よく新札の1万円で100万円の厚みが1cmといわれる。これをふまえて計算する。

まず、1兆円とは1万円何枚分に当るのであろうか。いきなり1兆円だと分かりにくいので兆の手前「億」の単位で考える。

1億とは1万の何倍であろうか。1万、10万、100万、1000万、1億、であるから、1万倍になる。つまり1億円とは1万円札1万枚に相当する。
積み上げると厚み0.1mmx10000=1000mm=100p=1mとなる。1億円を1万円札で積み上げると1mになる。因みに1億円の重量は10kgである。
ジャンボ宝くじの3億円は30kg。あの有名な3億円強盗犯がアタッシュケースに詰め込んだ3億円を持ち去った時の重量も(紙幣のサイズが今の1万円札とは微妙に違うとは言え、)約30kgである。

次に1兆とは1億の何倍であろうか。1億、10億、100億、1000億、1兆、となり1兆は1億の1万倍。
これを積み上げて1万メートルである。野田財務大臣が言った数字である。

ただ、私はこの1万円札を積み上げて1兆円にするということは物理的に無理なので箱型にして現実的な形にして考えてみたいと思う。

単純計算なので多分、この方が実感として分かりやすいのではないか。

先ほど1億円を1万円札で積み上げると1mだと言った。これは物理的に十分に可能である。
次に1兆円は1億円の1万倍であるから、1兆円=1億円x10000=1億円x100x100 となり、1mの高さ1億円のかたまり100個を縦1列として横に100列並べたものとなる。これは巨大な箱型になる。1万円札のサイズは縦が76mm、横が160mmなので計算すると縦7m60p、横16m、高さ1mの箱型になる。

つまり、1兆円とは1万円札からなる7.6mx16mx1mの箱型のかたまりであるということがわかる。坪数に換算すると37坪ほどの仕切りの無い部屋に1メ-トルの高さに一万円札を積み上げ、ぎっしり敷き詰めたたということになる。重量は何と100t。国の現在の借金は880兆円、このままでゆくと1000兆円にもなりかねない。この現状を考えると、国の負債額はこの箱型の1兆円(重量100t)ひとかたまりが880個〜1000個分に匹敵するほどの途方もない数字であり、この負債を国が、結局は国民が抱えるのはあまりにも恐ろしく、国の先行きに不安というより戦慄をさえ覚える。今日は日曜日と言うこともあり、暇人と思われても仕方のないようなことを書いてしまったが、こんなことを思うのも結局は偶然のなせる業であり、こういう時でないと書かないようなテーマを書かせていただいた野田大臣にある意味感謝せねばならない。




posted by ショウゾウ at 15:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
ブログ掲示板沖縄県

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